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あの日から7年。

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【今日で7年が過ぎました…】


親父が亡くなって今日で7年。

今でも時々に最後の光景を思い出す。

親父が生きた証をと、お袋が書き綴った「ありがと、ありがとう」の一部分を書こうと思う。




病室は四人部屋だったので、晃一が言うようにあれこれ話をすることもできず、私はただ義行さんの手を握ったり足をさすったりしていた。

夜七時頃、晃一、翠さん、壮真君、姑が面会に来たが、やはりほかの患者さんもいるので、あまり話はできず、みんな「お父さん頑張ってよ。大丈夫だからね」と声をかけ、背中をさするのが精一杯だった。

晃一が、「おっ父、壮真も待っているから、元気になって帰らなあかんぞ」と言うと、「ウンウン、そうだな……」と何度もうなずいていた。

みんなが帰ると、義行さんは私の顔をじーっと見ていた。

「どうしたの?」と問うとハァハァしながら、「俺はもう終わりかなぁ。みんな最後の別れに来たんだろう?」と言う。

「何を言ってるの。そんな弱気、義行さんらしくないよ。みんなお父さんのことが心配で仕方ないから来てくれたんだよ」と言うと、「そうだな。そうだな」と自分に言い聞かせるように何度もうなずいていた。

呼吸はますます荒くなり、「ハァハァ」だけではなく、「ウッウッ」とか「アッアッ」などと声を出しながら呼吸するようになっていた。声を出した方がほんの少し楽なのだという。

消灯時間が過ぎてしばらくすると、看護師さんが、「個室は空いていませんが、処置室ならほかの方に気がねしなくて済むので移りましょう」と言ってくれた。

他の同室者から声がうるさくて眠れないと苦情があったのか、または、危険な状態なので今のうちに一人にしておいた方がいいと、看護師さんも判断したのだと思った。

処置室に移って気がねなくなったが、モニターがつけられナース室で観察されるようになっていた。義行さんは何も言わなかったが、急に個室(処置室)に移るということが、自分の病状の深刻さを知らされているように思ったのか、気分的にもうダメかも……と考えてしまったようだ。

モニターを見ていると、酸素は十リットルも流しているのに、少し身体を動かしたり「今何時?」と短く話すだけでも、すぐに酸素飽和度が低下するのがよく分かる。

義行さんも息苦しさのあまり、ベッドに座っていることもできず、横に足を降ろしてオーバーテーブルにもたれたり伏せたりしながら、「ハァハァ」「ウッウッ」と呼吸をして、身の置き場がないといった様子だった。

あまりにつらそうな様子だったが、私は手や足、背中をさすりながら見ていることで精一杯だった。そのうち義行さんが、「さすらなくてもいいよ」と言い、手を握っても、自分から手を離していった。

身体に触れる少しの振動でも、つらさにつながっていたのかもしれない。そんな苦しそうな義行さんを見ていたら、何もしてあげられない自分が情けなくて涙が出てきた。

すると、義行さんは「泣かないで……」と寂しそうに言う。私が涙を見せると、義行さんに余計な心配をさせてしまうのだ。心の弱い自分を感じていた。

その後も、義行さんを見つめていることしかできず、ハァハァと言いながらも義行さんも時々私を見て、目と目を合わせてお互いうなずいていた。

「何もしてあげられなくてごめんね」「まだ頑張れって言った方がいいの?」「ありがと、ありがとね」私は心の中でくり返していた。義行さんも「ありがと、ありがとう」と何度も言っている気がした。

どれくらいの時間こうしていたのかよく分からないが、お互い何も言わなくてもそばにいて見つめ合っていられるのが夫婦なんだと私は実感していた。

晃一に、処置室に移ったことを電話で話すと、「俺も行くから……」とすぐに病院に来てくれた。

その後も義行さんは、同じような状況で「ウッウッ」と声をあげながら苦しそうに呼吸をし、机に伏せたりもたれかかったりしながら、うわごとのように「俺は生きる」「落ちつけ」「落ちつけ」「ガンバレ、体」「ガンバレ、体」と言っていた。口が渇く様子で、何度も「口の中に氷を入れて」と氷の要求が多くなっていった。

しばらくした頃、晃一を呼んで、「俺はお前に何もしてやれんかったな。まだ何も教えてやっていないが、これからあおぞらを頼むぞ。分からないことはみんなによく相談して、しっかりやっていってくれよ。晃一、晃一、頼むぞ」と息苦しさでハァハァ言い、途中で何度も休みながら、「頼むぞ」を繰り返し言っていた。

晃一が「分かったよ。まかせておけよ。俺が頑張ってやっていくから安心しなよ。だけどまだまだ俺にいろんなことを教えてくれないかんじゃないか」と答えると「ウンウン」とうなずいていた。

義行さんは自分の命がもう短いと悟っているのか。

別れの言葉を言っているのか。

この言葉の重さをしっかり受けとめ、残された時間を静かにいっしょに共有してあげるべきなのか。それとも「何言っているの。まだまだ生きるんだから頑張らないと」とはげますべきなのか。私はあれこれと思っていた。

A病院で看護師をしている時、私は何度か人の死に直面してきた。だいたいの人は死が近づくと氷を欲しがり、おいしいと言っていた。まさに義行さんはその状態だった。

この一週間、何度も何度も義行さんのひどく苦しそうな姿を見てきた私は、ここで頑張れなんて言う方が本人にとってはつらいのかも…たとえ、今この危機を乗り越えたとしても、また肝臓癌の痛みや苦しみがいつかやってくるだろう。

義行さんのつらくて苦しい顔はもう見たくないと思っていた。いろんな思いがぐるぐるめぐり、私はいったいどうしてあげたらいいのか、何と声をかけてあげたらいいのかわからなくなって、ただただ顔を見つめたり手を握ったりすることしかできなかった。

すると、義行さんが、「三千代、三千代」と私の名を呼んだ。

「何?どうしたの?」と顔を近づけると、「お前には本当にいろいろと苦労かけたね。でも俺はお前で本当に良かったよ。ありがと、ありがとう」と息苦しい中でも、ゆっくりと、しっかりした口調で言った。

私はその言葉を聞いたとたん涙があふれ出し、「私も義行さんといっしょになれて、本当に本当に幸福でしたよ。こんなわがままな私をいつもいつも大切にしてくれて、ありがと、ありがとう。これからもずーっといっしょだよ。来世でも絶対いっしょになろうね」と強く手を握ると、義行さんも泣きながら、「ウンウン」と何度も何度もうなずいていた。晃一も、お父さんが最後の力をふりしぼっていると知り、「親父、しっかりしろよ、今みんなを呼んでやるから」と言った。

義行さんは、「もういいよ。晃一と三千代がいてくれればいいよ」と言ったが、晃一は、「何言っとるんだ。翠や壮真、おばあさんにも会わないかんだろ。それに姉さんや、Sさんにも……」と電話をかけに行った。

私は手を握りながら、「義行さん、義行さん」と声をかけるのが精一杯でもう何も言葉にならなかった。

すぐに翠さん、壮真君、姑、姉さん夫婦、Sさん夫婦が来てくれた。

義行さんは、ハァハァと息苦しそうに酸素マスクを時々押さえながらも、みんなをゆっくり見回して、一人一人に声をかけ始めた。

翠さんには、「俺は悪い見本だ。俺みたいな病気になっちゃぁダメだぞ。体を大切にしなくちゃダメだよ。晃一といっしょにあおぞらを頼むよ」

壮真君には、「壮君、じぃちゃんの手を触って」と言い、晃一が壮真君の手を義行さんの手に触れさせると、小さな手を握りながら、「壮真、もうすぐお正月だ。お年玉をやらないかんかったね」

姑には、「親不孝な息子でゴメンネ。みんなの言うことをよく聞いて、あんまりわがままを言っちゃぁダメだよ」と言い、姑は「何も知らんかった。何も知らんかった」と言いながら息子の背中を泣きながらさすっていた。

姉さんには、「あおぞらを頼むよ。いろいろと助けてやってくれよ」

Sさんには、「勝っちゃん、晃一が困ったら力になってやってくれよ、頼むよ」

Sさんの奥さんの典ちゃんには、「典ちゃん、俺の方が先に負けちゃったよ。典ちゃんは俺の分までもっともっと頑張ってくれよ」

言い終わると、それぞれみんなと手を握り合っていた。

そのあと、もう一度晃一を呼び、「お前は男だから、家族みんなの力になって助けてやってくれよ。お母さんのことも頼むよ。晃一も体には気をつけろよ。飲みすぎて俺みたいな病気だらけの身体になっちゃぁダメだぞ」と言った。

そして、「俺はいつでもみんなのそばにいるから……。お前たちのこと、いつも見守っているからね」と言い、「俺の葬式は安いところでやればいいよ。俺が棺桶に入ったら、お別れの時は俺の身体のどこでもいいから触って何か一言ずつ声をかけてもらってくれ」と息苦しくてハァハァ言いながらも、自分の意思をはっきりと言っていた。

Sさんが思わず、「兵藤さん!何を弱気なことを言っとるだ!また好きなゴルフをやりに行こう!」と言ったが、義行さんは首を振りながら、「ゴルフはもうやめるよ」とポツリと言った。

フウフウ、ハァハァ言いながらも、みんなに最後のあいさつをすると、「みんなにいろいろ言っておいて、俺がまた元気になったらマンガだね」と冗談まで言っていた。

そして、何度も氷を欲しがるので、私が「そんなに氷ばかり口に入れて大丈夫?」と言うと、「俺の死に水だと思ってくれ」とも言った。この人は何と強い人なんだろう。

最後の力をふりしぼって、こんなにしっかりあいさつする人なんてそういないのに…。どこまで気丈な人なんだろうと思いながら、苦しそうに呼吸をしている義行さんを見つめていた。




あの時から7年。今でも昨日のことのように思い出す。

でも、生きる者は、それらの悲しみを乗り越えて行くしかない。人はそれぞれに多くのドラマがある。

親父が愛した家族。あおぞらの仲間。きっと、いつもそばで見てるんだろうな。また、頑張ろうっと。


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