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生かされている命の尊さ

全ての人に、寿命がある。

その寿命、自分は一体どのくらいあるのだろうかと気になることがある。

命を題材にした話が数多く存在するのも、人は潜在的に命を意識しているからかもしれない。

全ての人に必ず死の時は訪れる。

この世に生を受け、生き、旅たちの時を迎える。

その先には何があるのだろうか?どんな世界なのだろうか?

知り得ることの出来ない不安を少しでも和らげる気持ちから徳を積むのかもしれない。

旅たちの時、何を想い浮かべるのだろうか…

死んだ先には何があるのだろうか…

誰一人として生きている間に知ることはできない。

いつ死ぬのかも、どのように死ぬのかも知ることはできない。

その時は突然やってくる。

変わらぬ日常、他愛もない少ない言葉の掛け合い…それが最期となることもある。

日々の日常は当たり前ではなく、特別の連続なのかもしれない。


一生すぎやし。

いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。

われや先、人や先、今日ともしらず、明日ともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしづく、すえの露よりもしげしといえり。

されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。

これは浄土真宗の蓮如上人が残した言葉です。

人は必ず死を迎える。

若くして先立つものもいる、年を重ねて逝くものもいる。

朝まで元気にしていても、夜には死の時がくることもある。

それらは、誰一人として逃れることのできないことなのだ。

だからこそ、亡骸を前に泣き崩れるまえに日々を大切に生きなさい。


呆気なくその時がきた。

生き残ったものは去り逝く方たちから学ばなければならない。

世間からすれば大往生で悔いのない人生と思われるだろう。

永遠の日々などない。

朝に目が覚め、夜に眠る日々がどれだけ尊いことなのか。

関わっている全ての方々と過ごす時間がどれだけ儚いものなのか。

命に生かされていることを今一度、見つめ直してみようと思う。

そうすることで残された者は改めて亡き故人を偲ぶのだろう。

いつの時が訪れる、この世との別れ。

全ての人に必ずその時はやってくる。


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